小嶋 基次先生の「心のしゃれ学」NO.11 2014/05/31

お礼の便り

今度も礼状が手もとに届きました。いつもお会いした後や、
こちらに祝いごとがあったとき、欠かすことなく礼状や便りが送られてきます。
だから今度も便りがーと、期待半分でいたところ、
やはり簡素な文面ですが心の込もった一枚の葉書きが届いたのです。

以前に勤務していたところでこんなことがありました。
ある年間行事が無事に終ったので、係として大勢の職員に
行事の準備・運営などの礼を述べたのですが、
その後、係で一諸に仕事をした人から呼び出されて
次のように言われたのです。

「今日の行事は職員として当然の仕事だから、卑屈になって礼など言わ
なくてもよい」。

そこで「私は小さいころから、他人に仕事をしてもらったときや、
親切にしてもらったときには礼をいうものと親からいわれていますよ」
と言葉を返したのですが、妙な考えもあったものです。

この人は本心でこのように思っていたのかイデオロギーのために仕方な
く言ってきたのか、今になっては不明ですが人間としては心が貧しいので
しよう。

このような考え方こそ卑屈になっているように思えるのです。


このことがあってから、カバンの中に葉書きを入れて持ち歩くようにし
ています。

駅でも車中でも喫茶店のテーブルの上でも、自在に便りが書けるように
なりました。

礼状はその感激が消えてしまわないうちに素早く書く必要もあるのです。
早ければ文面は短くても心が込もっていて、受け取った場合、親切にし
てあげて良かったと満ち足りた気分になるものです。

これが人の付き合いというもので、一枚の葉書きがとりもってくれるの
です。
続く



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